音楽療法とその効用

以下、少し長くなりますがご了承ください。

音楽療法について

音楽療法とは、「音楽のもつ生理的、心理的、社会的働きを用いて、心身の障害の回復、機能の維持、改善、生活の質の向上、行動の変容などに向けて、音楽を意図的、計画的に使用すること」 というのが日本音楽療法学会による定義です。 

 実際には定義の解釈にかなり幅があります。皆様が心地よく聴く音楽も広義には含まれますし、「~の条件を満たさなければ音楽療法とは言わない」という狭義のものもあります。現在、私たちの身の回りで音楽を意図的に使用するという例では、歯医者さんで音楽に意識を向けさせて痛みの軽減を図るところがありますね。古くは、戦争の帰還兵が精神に異常をきたすことが多いためその治療に実際に音楽を処方して効果をあげたことから音楽療法の研究が進みました。マニュアルは存在しないファジーな分野ですが、投薬やオペを介さず直接脳や情動に作用できるユニークな領域でもあります。ある程度のスパンで評価を繰り返し、その経過から先々のプランニングがなされることになるでしょう。

 ファジーといっても音楽活動における反応・経過・結果には対象者本人にとっての何らかの必然性があります。クライアントへのアプローチに際しては、アルトシューラーの「同質の原理」のように言語化されているものにのっとって始める場合もあり、ときにはカンや感性によるときもあります。いったんセッションが始まってからは対象者の様子・反応をみながら進めていきます。昨今の脳画像処理技術の進歩によって音楽のもたらす脳への作用を可視化できるようになってきたことは、音楽が人間にもたらす効果を示すうえで非常にプラスになってきています。現在、音楽療法の適用範囲は世界各国で広がっていて、最近の米国を例に挙げればフロリダ州立大では早産の未熟児に、コロラド州立大では脳卒中の患者に神経学的音楽療法を実施して成果を上げています。音楽を使った認知症予防の研究も世界の各地で行われています。

 日本での音楽療法は戦後の精神領域から拡がって今に至っていますが、まだまだ発展途上にあります。㈱キートンの各種サービスは、高齢者施設・在宅の要介護高齢者と予備軍となる一般・特定高齢者に音楽活動プログラムを提供することで、認知症の発症予防/進行緩和、心身の健康維持から将来の財政支出の抑制にも貢献していこうとするものです。

 冒頭「音楽を用いて~の回復、改善云々」とありますが、ホスピスのように治療を目的としないところでも音楽療法は実施されています。皆様は、自分の臨終の際はこうありたい、できることならこの曲で送られたい、という曲はありますか?治療の次元を超え、死を前にしても音楽には果たすことのできる役割があります。言葉にするのが非常に難しいのですが、音楽は、身近な方を失った人の心に大きな影響を与える力を持っています。薬やテクニックではありません。その存在は欠くことができないからこそ、古今東西を問わず葬儀と音楽は切っても切れないつながりがあるのではないでしょうか。

 定義は国や団体や療法士によっていろいろあるのが現実ですが、音楽療法は音楽を使って症状の改善を求める対象者にとっての価値をもたらす活動を提供することが基本としてあります。そこでは既成曲や即興曲、リズム・音色・キー・テンポなどのアレンジ、対象者の能力・嗜好・疾病や障害の特質を考慮したプログラム、活動環境のコーディネートなど、無限ともいえる選択肢の中から活動内容を策定・実施していく音楽療法士の手腕が問われます。そして本人や家族・関係者と共有する目標の達成へ向かって、様々な努力と工夫を続けて行きます。

 

音楽によってもたらされる療法的効果

 音楽そのものは適切な使い方をすれば、対象者にとって価値的な活動となります。その分野はいくつかの領域に渡りますが、まだ保険点数のつかない日本では純粋な治療目的で使われることはまだ稀といえましょう。しかし高齢化が進んだ現在の日本に於いて有用性の高い効果として挙げられているのが、さまざまな面での予防効果です。心・身体・脳のさまざまな機能を賦活させ、長い人生における「今」という一瞬の価値を高めてくれる、一石何鳥もの活動となります。

高齢者の歌唱、楽器奏などの音楽活動で期待される効果の例をいくつか挙げますと

身体機能の面では、

 心肺機能の維持強化

 発語・発声機能の維持強化

 腹筋強化による便秘の予防・改善

 上下肢運動機能~関節の拘縮予防、随意運動の維持

またメンタル面でも

 気分改善、癒し、うつ予防

 などがあり、

その他にも研究報告であげられている、音楽活動のもたらした効果では以下のようなものもあります。 

 口腔機能(そしゃく・嚥下)改善による誤嚥性肺炎予防(神奈川県総合リハビリテーション

 センター口腔外科・甲谷部長)  

 NK(ナチュラルキラー)細胞の増加による免疫力の強化(名古屋芸術大・久保田教授)   

 血液中の性ホルモンバランス改善による認知症予防(奈良教育大・福井教授)  

 血圧適正化で脳卒中・心疾患予防(淑徳大・高橋教授)  

 リズム活動、歌唱、情動刺激による大脳・小脳・扁桃体など脳諸領域の賦活・活性化

(国内外多数)


特に最近は、社会全体の高齢化もあって認知症予防に注目が集まっています。脳を活性化させて認知症を予防するという方法はいろいろありますが、音楽のメリットは「自宅で楽しく、継続的に取り組むことが出来る」ということです。音楽活動は、脳の各領域を使った立派な知的活動です。効果的なエクササイズが日常生活の中で簡単に出来て、それが継続されれば予防効果は高まります。

上記の性ホルモンバランス改善はかつて薬物投与で治療が行われていました。しかし服用者のガン発症が増加したことから現在は使用禁止となっています。音楽療法が代替療法としてお役に立てる日が来るかもしれません。また心身を適正な状態へ保とうとするホメオスタシス(生体恒常性)に作用することで血圧が適正な値に近づき、脳卒中が予防されれば認知症予防につながるのはいうまでもありません。加えて情動を刺激されるときに活性化する扁桃体は、ホルモン分泌をはじめさまざまな領域に影響を及ぼします。音楽は単なる文化的活動ではなく、脳機能の維持強化に貢献できる可能性を秘めているのです。

日本と同じく高齢者が増加している米国でも、認知症の予防・進行緩和に何が効果的かを調べる研究が進んでいます。その中のひとつに、インディアナ大学のロード教授による、音楽の認知症進行緩和に及ぼす影響の研究があります。認知症を発症した高齢者のグループに特定の活動を割り当てて続けたところ、音楽活動グループが最も進行緩和効果が高かったのです。つまり進行が遅くなったということです。

また聴覚野は脳の疾患に対して非常にタフな領域です。認知症などの脳疾患が進行しても音楽活動は最後まで出来る、というのは医療・介護の現場ではよく知られています。単に活動が出来るというだけではなく、回想と想い出の共有、達成感・社会性の維持などさまざまなメリットを本人にもたらし、それがモチベーションとなってさらに自発的な活動を引き出す力があります。これを積極的に利用していくことは諸々の問題にプラスに働くことが期待され、音楽療法が必要とされる状況が増えることは残存機能活用の点からも好ましいことといえるのではないでしょうか。現在は音楽療法士ひとりひとりが現場での実践を通してその成果を検証し、さらに良いセッションを提供していけるよう研鑽を積んで頑張っています。

 →日本音楽療法学会ホームページ

(出典: 音楽で脳はここまで回復する/人間と歴史社刊、木沢記念病院中部療護センター脳神経外科部長 奥村 歩 著)